今までは、生徒指導(髪型や服装を事細かく守らせること)がきちんとできる人や、部活動などで生徒に言う事を聞かせる事ができる人(いわゆる「生徒をシメることが出来る人」)が「良い教師」とされてきました。
また、そしてそれを達成するための手段として、「叱る(怒る)」事や学校の決めたルールを「教師の権力の下で強制的に守らせる」といった「力」に頼ったものが主流でした。
以前は、そのようなやり方をするしかなかった時代もあったのかもしれません。
しかし時代は流れ、現在の社会では人権意識も高くなり、体罰やハラスメントなどはもってのほかであり、「子どもの権利条約」にもあるように「子ども達も一人の人間として自分の意見を表明する権利がある」といったことも叫ばれるようになりました。
教員の中には「時代が変わった、昔は指導もやりやすかった」「厳しく指導出来なくなった(体罰が出来なくなった)から生徒に舐められる。体罰や理不尽を我慢させることも教育」などの声もまだまだあるようです。
しかし、このような指導のやり方を私自身は決して受け入れることはできません。
理由は、「明らかに生徒自身の人格(人権)を無視している」こと、そして日本国憲法や教育基本法などに書かれている「教育の目的」に反しているからです。
これは文科省が出している答申などを見ても明らかです。
一人一人が自由で幸せな人生を、社会と調和しながら歩んでいく。
本当の意味での「民主主義社会」を実現するためには、子どもの頃から「民主主義社会」とはどういった社会なのかに触れ、実践しながら経験を積んで行く必要があります。
その環境を学校で実現するためには、「学校のシステム」「教員の意識やスキル」をアップデートし、新しい仕組みや価値観を身につけて行く必要があります。
そこで今回は、そんな「これからの教師に必要な資質(スキル)」をいくつか挙げてみたいと思います。
(※あくまで個人的な意見です。)
◆『管理者』から、『支援者』へ
従来までの学校教育は一斉授業が中心で、学校の校則も教員(大人)が決めたルールを一方的に生徒に守らせる形が中心でした。
学校に根強く残る「大人」が「子どもを管理する」というカタチ。
しかしそれでは「自分の社会は自分たちでより良くしていかなければならない」「自分たちがきちんと考え行動すれば、社会をより良く変えられる」という「当事者意識」や「主体性」は育ちません。
この意識は「より良い民主主義社会」を実現するためにはとても大切なものですが、残念ながら私たち大人もそのような意識が持てていない(きちんと学べていない)人が大勢いると感じます。
結果、それが職場での「ハラスメント」や「ブラック労働」、自殺者や病気休職者の増加にもつながっているのではないでしょうか?
子ども達には、「社会に出れば理不尽な事が多くあるから」という理由でガマンを強いる事を教える(強要する)のではなく、「理不尽な事があれば、それを変えて行けるし変えて行かないといけない。そしてその権利がある」という事を教えることが大切だと感じます。
それを子ども達が学び実践する場が「学校」です。
従来のように子ども達を「管理・支配」するのではなく、生徒が自らが学び成長しようとする力をいかに「支援・サポート」して行くのか?
生徒が失敗した際に「叱る」のではなく、その失敗をどうリカバリーして経験として次に活かすのか?
足りない部分をどう上手くフォローアップしていくのか?
その方法を共に考えアドバイスし、時には一緒に実践し学んでいく。
教師はそういう「支援者」「伴走者」としての方向へシフトして行く必要があるのだと思います。
◆『ファシリテータ』としてのスキル
一人一人が自由により良く生きようとすると、必ず他人と衝突やトラブルが起きます。
これをお互いが納得した形で解決するためには、お互いがきちんと「対等な立場で対話する」事が必要です。
しかし日本人はこういう「対話」が苦手です。
お互いの「意見」を交わしているだけなのに、いつしか人格攻撃に発展してしまったり、自分の人格を否定されたような気持になってしまったりします。
それは個人の対話の能力がもともと低いのではなく、「対話の技術」を身につけていない(知らない)だけなのだと思います。
だとすれば解決方法は簡単で、一人一人が「対話の技術」を身につけることで解決するはずです。
学校で子ども達に「対話の技術」を教えるためには、教師もまた「対話の技術」を身につけなければなりません。(知らない事は教えられないので)
会議の円滑な進行を担うこの「ファシリテータ」の技術は、職員会議やクラス会議など、学校の様々な対話の場で役に立つ非常に重要なスキルの一つであると言えます。
(補足)
ファシリテーターとは、ファシリテーションといった能力を活用しながら、会議などの場で参加者に発言を促したり、話の流れをまとめたりする人のことで、下記のような役割を担います。
・ 会議や研修などの進行役
・ 参加者に発言を促すサポート役
・ 会議や研修の目的であるゴールに参加者を確実に導く誘導役
◆『サイエンス』と『エビデンス』
◆『〇〇らしさ』という固定概念からの脱却
学校にはまだまだ「精神論」や「根性論」などによって、その根拠が無い謎ルールが多く残っています。
また、校則によく見られる「中学生らしさ」「高校生らしさ」など、「誰の主観で決めてるねん!」とツッコみたくなるものも根強く残っています。
(余談ですが、ビックリ校則の中の「ポニーテールは男子がうなじに欲情するから禁止」などもその最たるもの・・・。男子生徒じゃなくて男性教員の主観では?・・・と疑いたくもなる。)
校則でもなんでもそうですが、生徒に聞かれた時にキチンとその理由や根拠を説明できないものは、きちんと説明できるものへと変えて行くべきです。
それは、教員の仕事についても同じです。
勤務時間内の業務については「職務命令」ということで強制力がありますが、勤務時間外の活動については業務として強制することはできません。
(それをしたら労働基準法違反です。)
しかし「生徒の為に」という殺し文句で生徒を人質に取り、「やりがいを搾取する」という構図が未だなお残っています。
「なぜ勤務時間外の業務を実質的に強制しているのか?なぜそれが許されているのか?」その根拠を明確にせず、堂々と労働基準法違反になるような働かせ方をしている学校のシステムもまた早急に改善されるべきです。
(「給料4%上乗せで働かせ放題」の給特法がその最たるもの)
生徒に関わる校則や教員の働かせ方など、きちんとその「根拠」を示し、学校に関わる全員が納得するようなルールやシステムに変えて行かなければなりません。
◆『カウンセラー(心理学)』
(専門性がとても高いので、可能なら・・・)
生徒の行動を、ただ「良い」「悪い」だけで判断するのではなく、その行動の裏には何があるのか?それを理解することはかなり重要な事です。
これが出来れば、問題行動などが起こった時だけ場当たり的な対処をするのではなく、それが起こる前に対処することが出来ます。
困りごとを抱えている生徒の早期発見にも繋がります。
ただ、とても専門性が高いのですべての教員が身につけることは無理かもしれませんが、せめてそれぞれの学校に心理の専門家(カウンセラーなど)が常駐するぐらいにはなっても良いのではないかと思います。(予算の問題もあるのでしょうけれど・・・)
◆『授業力』よりも、まずは『人間力』
教師として「授業力」ももちろん大切だとは思いますが、私はそれ以前に「人間力」が大切だと思っています。
なぜなら、「信頼」していない人の言葉は相手には届かないからです。
どんな良い授業をしたとしても、生徒と信頼関係が築けていなければ、その言葉は届きません。
ましてや、これからは「主体的な学び」「協働的な学び」「個別最適化な学び」などがより推進されていくので、教師が一方的に伝える技術よりも、共に考え歩んでいくための「寄り添う技術」の方が、これからはより必要になって来ると思います。
◆『教師自身が幸せな人生を歩む』こと
生徒にどんな良い事を伝えようとしても、
自分自身が不幸だったら、その言葉には説得力がありません。
自分自身が様々な経験をし、
何気ない日常生活の中で自分自身が感じている「幸せ」。
そんな人生を歩むには、今何をすればよいのか?
どんなことを学べばよいのか?
それを伝えられる人間になる。
それを伝えられる人生を歩む。
それが「教師」にとって最も大切なスキルなのかもしれません。