学校教育と対話

今学校教育に一番足りないもの。

それは『対話』だと感じています。

 

「先生」と「生徒」の対話。

「生徒」と「生徒」の対話。

「先生」と「先生」の対話。

 

その全てが足りていない。

 

 

生徒は、

・毎日朝から夕方までぎっちりと詰まった時間割。

・先生によって言動を厳格に管理された授業。

・放課後は部活動や塾。

・家では宿題。

・苦手で出来ない事があれば、放課後であろうと何だろうと出来るまで延々とさせられる。

・宿題を忘れるなどのミスをすると徹底的に怒られ追い込まれる。

など、心も体も余裕が無く、常にプレッシャーを与えられる。

そんな状況では「何でも先生に相談して」って言われたって無理だし、「みんな違ってみんな良い」なんてことを受け入れる余裕も無い。

また、心と体の余裕も無いのに、「夢や希望を見つけろ!」「夢や目標を持て!」と言われても、無理に決まってる。

 

 

先生は先生で、

・静かに席に座らせて私語をさせないのが指導力のある教師(右へならえをちゃんとさせることが出来るのが良い教師)という呪いの価値観。

・学校の「評価」を上げるために、良い学校へ進学させる、良い会社に就職させることに躍起になる。

・そのために生徒に勉強や宿題を徹底的にさせて「評価」を上げることが最優先。

・意味の分からない「やってる感」満載の仕事がお上からやってきて、結果ビルド&ビルドで積み重なっていく仕事。

・生徒に向き合うヒマもなく、起こるべくして起こる生徒の問題行動。時間が無いので対処も場当たり的なやっつけ対応。

・責任を取りたくない管理職

 

などの要因で余裕がない。

「対話」なんて言ってるヒマも無い。

 

全ての学校がそうとは言いませんが、かなりの部分が当てはまるのではないでしょうか?

 

 

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人間関係の基本となる「信頼関係」。

そのほとんどは「対話」を通して作り上げていくものです。

その「対話」が、子ども達を育てて行く「学校」で十分に行われていないという事は、「信頼関係」を築く術を知らないまま社会へ送り出すという事。

 

「信頼関係」を気づく術を知らない人が増えてしまえば、本当に殺伐とした社会になりかねません。

また、仕事の効率も上がらず、いつまで経ってもジリ貧で閉塞感から抜け出せません。

SDGsで言われているような「誰一人取り残さない社会」も実現できません。

学校でのいじめ問題や、主体性が無い人が増えていると言われている原因の、かなりの部分がここに関係しているのではないでしょうか?

 

 

 

現在の学校や教育が、子ども達や先生達にとって「息苦しい(生き苦しい)」ものになってしまっています。

その大きな理由としては、「学びの主体者である子ども達」と「それを支えて行く先生」といった現場の声が、学校運営にほとんど反映されていないという事なんじゃないかと感じます。

 

 

生徒の意見を聞く場のはずの生徒総会は、生徒から出された意見は事前に先生によって検閲され、学校にとって都合の悪い事は議論されず、生徒を言いくるめるだけ様な根拠が無い形での回答しかなく、総会が形骸化している。

 

 

先生の意見を学校運営に反映させるための職員会議も、事前に管理職等で行う「運営委員会」で決まったことが絶対であり、会議で発せられた先生の意見はほとんど通らない。(聞いたフリはするが、最終的には「すでに運営委員会で決まったことです」の言葉で切られてしまう。)

「会議」とは名ばかりで、ただの連絡調整の場でしかなく、「先生方の意見も一応聞きましたよ~~」という管理職の実績作りの場に成り下がっており、これも形骸化している。

 

 

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ちなみに、本来の「職員会議」の立ち位置とはどのようなものなのか?

広島県教育委員会のホームページにはこう書かれています。

 

「職員会議」は、学校運営が円滑に行われるように、校長が、所属職員の意見を聞いたり、校長の運営方針を周知させたり、職員相互の事務連絡を図るものであり、意思決定は、校長自らの権限と責任において行う。つまり、校長が職務遂行するに当たって、それを補助する機関として位置づけられるものです。

~途中略~

 かつて、職員会議を「最高議決機関」として位置づけることが一部において主張されていました。

 しかし、職員会議を最高議決機関とする説は矛盾点が指摘される中、判例においても否定されています。

 つまり、学校教育法第28条第3項では「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」と規定し、校長は法令や教育委員会の指揮監督に従い、学校の責任者として教育活動が円滑に行われるよう、所属職員を指導監督し、校務運営を行っていくことが定められており、職員会議を最高議決機関とすることはあり得ないのです。

 しかしながら、学校教育法などの法令では、特段の規定がおかれていなかったため、間違った解釈での主張が展開され、一部の学校においては、主任の任命等にも影響を及ぼしていました。

 このような状況から、広島県では平成11年3月に「広島県立高等学校等管理規則」及び「市町村立小中学校管理規則規則(案)」を改正し、「校長は、校務運営上必要と認めるときは、校長の職務の円滑な執行を補助させるため、職員会議を置くことができる。」、「職員会議は、校長が必要と認める事項について、教職員間の意思疎通、共通理解の促進、教職員の意見交換などを行う。」、「職員会議は、校長が招集し、主宰する。」、「(前項に掲げるもののほか)職員会議の組織及び運営について必要な事項は、校長が定める」と、職員会議が「校長の補助機関」である旨を規定しました。

 

 

となっています。(長くてスミマセン 汗)

つまり、先に書いたような、

「運営委員会でもう決まったことだから、どんなに意見を言われても変えられません。この案で行きます!」

なんて事は、本来あってはならない事なのです。

 

 

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最初に書いた通り、学校には「対話」が必要です。

「生徒」も「先生」も人間です。

社会で生きている大人達もまた人間です。

 

人間がより良い社会を形成するためには、「自己受容」「他者信頼」「他社貢献」がうまく繋がる必要があり、それを作り上げていくためにも「対話」が絶対に必要です。

 

子ども達の学びの場である「学校」という場所が、「どのような学びの場を目指していくべきなのか?」「どのような学びの場であって欲しいのか?」という事について、そこに関わる生徒・先生・保護者・地域の大人達でしっかりと「対話」を繰り返し、「学校」が皆にとってより良い学びの場となる事を目指し、失敗を恐れず実践しながら作り上げていくという事が何より必要な事なのではないかと感じます。