学校教育を考える③『学校の多くは独裁国家』

生徒に大きく関係する、制服や頭髪などの校則の問題。

教員に大きく関係する、部活動を始めとしたブラック労働の問題。

 

これらの問題は別物ではあるけれど、その根底はつながっている気がする。

 

 

一言で言えば、

『多くの学校は、民主主義ではなく独裁国家

だからだと思う。

 

 

「そんなことは無い!」

と言いたい教員も多くいると思うが、

残念ながら一般的な多くの学校が独裁国家なのは間違いない事実。

 

 

なぜなら、

学校を一つの国家として見たとき、

一番権利を持っている「主権者」が誰なのかを見ればわかります。

 

もし独裁国家なら、その国の首長が主権を持ち、

もし民主主義国家なら、国民がその主権を持っているはず。

 

 

 

さて、今の学校での主権者は誰か?

ズバリ、学校の主権者は「校長」です。

 

 

 

例えば大分県では、平成24年に以下のような通知を各学校に出しています。

(以下、大分県教委が各学校に通知した文書の一部)

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2 職員会議の役割の明確化について

職員会議は校長の補助機関として、学校運営に関する校長の方針や様々な教育課題への
対応方策についての共通理解を深めるとともに、生徒の状況等について担当する学年・学級・教科を越えて情報交換を行うなど、教職員間の意思疎通や情報の共有を図る上で重要な意義を有するものである。
しかしながら、一部において、校長と教職員の意見や考え方の相違により、職員会議の
本来の機能が発揮されない場合や、法令の規定に反し、職員会議があたかも意思決定権を有するような運営が見受けられる。そこで今回、校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議が法令の規定に沿ったものとなるようその役割を明確化したものである。

 


(1) 職員会議において、本来、校長の責任で決定する事項を不当に制約するような運
営や議決により校長の意思決定権を拘束するといった運営は認められないこと。
(2) 校長が校務に関する決定等を行うに当たって、職員会議において所属職員等の意
見を聞くことが必要な場合においても、「挙手」や「多数決」等の方法を用いて職
員の意向をはかることは運営委員会の機能を否定することになりかねないばかりで
なく、校長が自らの責任で決すべき意思決定に少なからず影響を与え、同会議が実
質的な議決機関となりかねない。このため職員会議において「挙手」、「採決」等の
方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと。
(3) 職員会議で取り扱う報告、意見聴取及び連絡に関する事項は、運営委員会を経た
上で、事前に副校長又は教頭に提出したものであること。ただし、校長が運営委員会を経る必要がないと認めたものについては、この限りでない。


(以下略)


全文はコチラ

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https://www.pref.oita.jp/uploaded/attachment/2003492.pdf

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この文書にあるように、

『職員会議において「挙手」、「採決」等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと。

とハッキリと書かれています。

また、実質的な決定機関である「運営委員会」にも、特定の教員しか参加できません。

 

つまり、「一般の教員は職員会議で意見を言う資格も無いし、学校の在り方をとやかく言う資格も無い。」という事に他なりません。

 

 

 

 

 

では今度は生徒にとってはどうなのかを考えてみます。

もし学校が民主主義国家なのであれば、国民に相当するのは「生徒」であり、「生徒が主権者」という事になるはず。

 

ですが実際は、

「校則などのルールは学校側が一方的に決定したことを生徒に押し付けているだけ」であって、そこに生徒の意志・意見はほぼありません。

 

(少し前、県教委から「校則について生徒の意見を聞きなさい」という通達があり、生徒にアンケートを取ったのですが、アンケートを取る前に全校集会で「余計な事は書くなよ。良く考えて書け、わかってるな?」と、暗に生徒に圧力をかけたうえで実施しており、実感としては「帳面消しの為に、ただやっただけ」としか思えませんでした。泣泣泣)

 

また、各学校に「生徒会」もありますが、そこに生徒の意志決定の仕組みは無く、実質的には「教員の下請け機関」のようになってしまっているように感じます。

 

 

 

 

 

「じゃあ完全に一回壊さないと無理なんじゃないの?」

と思えるかもしれませんが、

カタチは校長主権の独裁国家でも、

運営の仕方によっては十分「民主主義」にもなりえると思います。

 

 

例えば、

『教員は、生徒や保護者と健全なコミュニケーションを通して意見交換し、その意見を学校に取り入れようと動いている。』

 +

『校長が日常的に教員と対等に意見交換し、その意思や価値観を尊重し、学校運営方針に取り入れるべくマネジメントしている。』

という取り組みがなされていたりすれば、可能性はあると思います。

(まぁほぼそんな話は聞いたことは無いですが。汗汗汗)

 

 

 

 

 

 

 

本来、学校は「民主主義」を学ばなければならないはずの場所。

なぜなら、日本は「民主主義国家」だから。(資本主義も入ってるけど。)

そんな将来の日本を担う子ども達が学ぶ場が「独裁国家」で良いとは思えません。

 

 

学校が「生徒全員が安心してより良く学べる場」であり、「社会と調和して自立して生きていける大人になるために学ぶ場」であるためには、そのルールやあり方が特定の人間だけの意志や価値観だけで決定されるのではなく、主権者である「生徒」、そしてそれを支援する教員や保護者など、学校に関わる全ての大人が当事者として、対等で丁寧な対話を通して決められて行く必要があると思います。

 

 

 

対話には時間も労力もかかります。

独裁の方が、話も早いし管理する側にとって都合が良いでしょう。

 

でもそれでは「自立」した生徒は育ちません。

「自分の幸せ」と「社会の幸せ」に責任を持てる生徒は育ちません。

 

 

失敗も成功も貴重な経験です。

学校が少しでも早くこの独裁国家から脱却できるように、私自身もできる事を最大限の勇気を持って取り組んで行きたいと強く思います。