今回のテーマは『日本国憲法』
早速、教育に関わる部分で気になった条文を抜粋して記載します。
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<第12条>
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
<第23条>
学問の自由は、これを保障する。
<第26条>
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
② すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
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特に<第26条>の、
『その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。』
という部分と、
『普通教育』
という言葉が特に気になります。
「その能力に応じて・・・」ということは、
「その能力に応じて学びを選択できる環境や場所が無ければいけない」
という事になると思います。
また、このことは<第23条>「学問の自由はこれを保障する」という所にも繋がってくるのではないかと。
また、
『普通教育とはなんぞや??』
と思い調べてみました。
文部科学省のHPには、
「普通教育とは、通例、全国民に共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育を指すとされ、義務教育と密接な関連を有する概念である。
九年の具体的な内訳については、教育基本法は特に規定せず、学校教育法に委ねている。」
と書かれています。
つまり、
「日本国憲法でも教育基本法でも、普通教育とはどういう教育の事を指すのかは書かれていない!」
という事で、
書かれているのは「学校教育法」であり、
法律としての位置関係は
です。
教育にかかわる法律としては一番下位である「学校教育法」にしか書かれていないという事です。
この学校教育法の中を見てみると、
<第十七条>
小学校は、心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする。
<第三十五条>
中学校は、小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、中等普通教育を施すことを目的とする。
とあり、その中身も条文の中にずらずらとかかれています。
が、
具体的にあ~しろこ~しろとは書いておらず、
要は、
「社会生活に必要な基礎的な知識と技能を身に着け、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。」
という事に尽きます。
これは至極真っ当な目標だと思います。
で!す!が!
この目標を達成するための学びの場であるはずの学校が、
なぜ今のような「右へならえの画一的な教育」「評価・結果主義」「教師が子どもを管理・支配する、民主主義とは程遠い独裁国家のような学校」に繋がってしまうのか?
教員採用試験の勉強をしていながらも、全く理解できません。
『残念ながら、現在の学校教育(特に義務教育)の現場において、これらの憲法の理念や目標はしっかりと守られ行使されていない、達成できていない』
と感じざるを得ません。
だからこそ、これからの時代・社会を生き抜き、課題を解決していくためには、学校(教育)は変わって行かなければなりません。
いや、絶対に変えて行かなければ!!